レンゴーの歴史 レンゴーのあゆみ 1965年〜進化と発展 1965年(昭和40) プレプリントの段ボール箱を開発し、美粧化へ先鞭をつける 1970年(昭和45) 「段ボール一筋」から「総合包装企業」へ 1970年代 段ボールの製造技術革新をリード 1972年(昭和47) 「聯合紙器株式会社」から「レンゴー株式会社」に社名変更 1983年(昭和58) 段ボール箱にオフセット印刷を導入 1960年代後半、わが国は高度経済成長の過程で大量生産・大量流通・大量消費の時代に入りました。その象徴がスーパーマーケットの進出です。商品の個装にプラスチックやビニール製品が使われるようになり、ディスプレー方式が変わりました。この情勢に対応して、当社は段ボールの材料である板紙に印刷する(プレプリント)方式を開発し「強くて美しい箱」を製品化し(写真13)、また、板紙の表面を白色化した「ウルトラホワイト」を開発、美粧化をさらに促進しました。また段の高さが1.1~1.4mmの薄い段ボール(ERボード)の製造技術を米国から導入し新需要を開拓しました。(写真14) 写真13 (1)グラビアン (2)レンプリント (3)ハイプリント (4)プリンテナー 写真14 ERボードを用いた製品 その一方で、1968年に生産性向上運動を巡って労使関係が一時険悪化しましたが、かえって生産性向上について理解と協力が広まる契機となり、以降3年間に売上高も給与も5割増させる目標を達成しつつ、労使協調体制を築きました。さらに1970年、聯合紙器株式会社創立50周年を迎えたのを機に、従来の「段ボール一筋」から「総合包装企業」へ経営路線を転換しました。 新路線として、まず製品輸送を外部委託から子会社運営に改め、また自動製函機など包装関連機械を開発する子会社を設立し、ユーザーの包装ライン改善に成果を収めました。こうした新しい取組みを内外に示すために、1972年元日、社名を現在の「レンゴー株式会社」に改めました。 同時に、課題となっていた技術革新を推進しました。1970年代、段ボール製造設備(コルゲータ)について画期的な技術を開発、製品のロット替えのたびに減速または停止していた従来の運転装置を高速のまま連続運転できる装置に一変させ、段成型と糊接着にも新機軸を開発しました。これにともない高速化・品質強化・材料費低減など多様な効果をもたらしたことが、国内外から高い評価を受け、以降の技術輸出の基となりました。(写真15)また、5~6色印刷機と回転式高精度切断装置を開発して、カラフルな美粧段ボール箱「コルフレックス」を広め、(写真16)段ボール箱に新時代を拓きました。また「青果物鮮度保持剤」の開発など、機能性段ボールの開発でも先鞭をつけました。(写真17) 写真15 ツーボードライン・スリッタースコアラー 写真16 段ボール印刷に新時代を開いた「コルフレックス」 写真17 青果物鮮度保持剤「グリーンパック」を入れたリンゴ箱 写真18 利根川製紙工場 4号抄紙機 段ボール箱の需要の伸びを見込み、その材料である板紙を安定調達するため、1973年米国の製紙会社ウェアハウザー社と長期契約を結び、翌年利根川製紙工場に4号抄紙機を増設しました。(写真18)1973年には第1次石油危機が勃発し、円高もともなって日本経済が激動することとなりましたが、当社は合理化・効率化を徹底的に進めることによって対応しました。さらに、1972年大阪製紙株式会社(新聞用紙・白板紙)、1976年福井化学工業株式会社(板紙メーカー、セロファンも生産。1991年当社に合併)を子会社化しました。 写真19 オフセット印刷した段ボール箱 1980年代、消費生活は「豊かさの向上」から「高級化志向」へ進み、商品包装も多様化・高級化に向かいました。段ボール箱にも高級化が求められ、オフセット印刷による美粧ケースが登場しました。(写真19)当社はまず1983年に川崎工場(現在葛飾工場に統合)を美粧ケース専門工場に改造し、その後東京の葛飾工場と京都の桂工場(現 新京都事業所・京都紙器工場)も専門工場に切り換えました。 前のページ レンゴーのあゆみTOPへ 次のページ