レンゴーの歴史

レンゴーのあゆみ

1945年〜復興と成長

1949年(昭和24) 株式上場。段ボール箱の需要復活
1961年(昭和36) 利根川製紙工場建設(茨城県・岩井市)
1956~65年
(昭和30年代)
段ボール・段ボール箱工場新増設相次ぐ(札幌・函館・仙台・長野・前橋・川崎・清水・滋賀・京都・和歌山・広島・松山・鳥栖)
1963年(昭和38) 井上貞治郎社長没(享年82歳)
  • 戦後の復興は、戦災を軽微で免れた淀川・葛飾(以上製紙)、川口・京都・淀川・小倉(以上段ボール・段ボール箱製造)の6工場で再開しました。1949年、資本金1千万円で株式を上場(大証、翌年東証にも)、以後の増資に備えました。

    • 写真9 冷凍鯨肉を入れた段ボール箱
      写真9 冷凍鯨肉を入れた段ボール箱

    わが国の経済は、1950年に勃発した朝鮮戦争にともなう特需で復興のきっかけをつかみました。段ボールの需要も急上昇し、当社は海外から技術導入をして設備の近代化を進め、同業者を工場見学に招くなど、トップメーカーの立場から業界をリードしました。やがて森林保護政策が打ち出され、木箱から段ボール箱への転換が推し進められると従来は木箱包装だったみかん・りんごなどの青果物や、水産物向け需要が増加していきました。(写真9)

    戦後10年、わが国は復興から高度経済成長へと向かい、消費生活の向上にともなって、特にテレビや冷蔵庫など家庭電化製品の普及が伸びをリードし、段ボール箱の需要は毎年2けたの高い伸び率が続きました。(写真10)当社は毎年1工場以上のペースで新工場を開設、段ボール箱の供給体制を整えるとともに茨城県岩井市(現:坂東市岩井)に利根川製紙工場を新設し、板紙からの一貫生産体制を再構築しました。(写真11)

    • 写真12 松竹映画「流転」ポスター
      写真12 松竹映画「流転」ポスター
    • 写真10 昭和33年発行の当社カタログから
      写真10 昭和33年発行の当社カタログから
    • 写真11 利根川製紙工場第1号
      写真11 利根川製紙工場1号機

    1959年、当社は創業50周年を迎え、これを機に井上社長が自叙伝『生涯の一本杉』を発刊したところ、日本経済新聞より同紙の名物コラム「私の履歴書」欄への執筆の要請があり掲載を行いました。青少年時代の波瀾万丈の人生は読者を魅了し、その自叙伝をもとにした『流転』は、朝日放送で半年間の連続テレビドラマとして放映され高視聴率を獲得しました。翌年、石浜恒夫が小説『流転』を発刊し、大阪・道頓堀の中座で芝居となり、また松竹映画になった『流転』も人気を集めました。(写真12)3年後には、毎日放送が森繁久彌主演でテレビドラマ「きんとま一代」3部作を放映しました。こうした「流転ブーム」の中、1963年に井上社長は82歳の生涯を閉じました。