レンゴーの歴史

レンゴーのあゆみ

1985年〜総合化の進展

1986年(昭和61) 不織布事業に参入し、周辺分野を拡張
1989年(平成元) シンガポールに海外進出の拠点置く
1991年(平成3) 福井化学工業株式会社を合併
1998年(平成10) 朋和産業株式会社を子会社化し軟包装事業に進出
1999年(平成11) セッツ株式会社(板紙の大手メーカー)を合併
  • 当社は、総合包装企業を目指し技術革新、新製品開発、資本参加などによって業容を広げてきましたが、1986年からは段ボール事業の周辺分野への参入が本格化します。1986年不織布(吸水マット等)、87年段ボール包装用粘着テープ、91年マルチパック(缶・瓶入りビール・飲料等を複数個まとめた包装)の製造・販売を始めました。(写真20・21・22)また、95年包装機械の山田機械工業株式会社を子会社化しました。さらに、98年には朋和産業株式会社を子会社化し、本格的に軟包装事業に進出しました。

    • 写真20 不織布製品(吸水マット)
      写真20 不織布製品(吸水マット)
    • 写真21 軟包装製品
      写真21 軟包装製品
    • 写真22 マルチパック製品
      写真22 マルチパック製品

    1980年代、経済的に興隆してきた東南アジア諸国や中国は、当社の段ボール製造技術に注目し、当社もまた東南アジア諸国や中国にビジネスチャンスを検討していました。わが国企業の現地進出や生産委託の事例も増え、当社は1989年シンガポールに調査事務所を置き、翌年マレーシアの企業と合弁会社を設立したのをはじめとしてシンガポール、タイ、インドネシア、中国、ベトナムと順次展開しています。

    周辺分野への参入、海外合弁事業の強化と並行し、研究体制と生産能力の整備・増強も行いました。1990年に中央研究所と包装技術センターを新増設したほか、1991年福井化学工業(株)(板紙生産)を合併し板紙・段ボールの一貫化を強化するとともに、1990年仙台工場、1993年大阪工場(移転後の三田工場)、和歌山工場、1999年札幌工場(移転後の恵庭工場)を順次移転して設備を一新しました。(写真23・24・25)

    • 写真23 三田工場 「段ボール製造機」
      写真23 三田工場「段ボール製造機」
    • 写真24 三田工場 製函ライン
      写真24 三田工場 製函ライン
    • 写真25 八潮工場7号機
      写真25 八潮工場7号機

    段ボール産業は受注産業であり、多品種少ロット化が進む中で数量・納期に求められる水準はますます厳しくなっていますが、当社はコンピューターによ生産管理を1980年代後半から試行をはじめ、1992年「IPPAC(Integrated Production Planning And Control system:統合生産管理システム)」を完成し、全工場に導入しました。現在ではCOMETS(COrrugated fiberboard Manufacturing Enterprise Transaction System:段ボール工場業務システム)へとさらに進化し、多様化・高度化するユーザーニーズに的確に応えられる体制を築いています。

    1999年には、大手板紙メーカーのセッツ株式会社を合併。これにより、当社は板紙でもトップメーカーになるとともに、名実ともに板紙・段ボールの一貫メーカーとしての地歩を固めました。合併に際しては、抄紙機の統廃合を行い需要に見合った新しい生産体制の構築を進め、業界全体の構造改革の先駆けとなりました。また、セッツ(株)の段ボール部門をセッツカートン株式会社として分社化するとともに、その他の段ボール部門グループ会社についても積極的に再編成を進め、全国各地域で当社直営段ボール工場を中心とした、いっそう充実したネットワークを築いていきました。