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アジアにおける事業戦略とリーダーシップ

アジアにおける事業戦略とリーダーシップ(1)–2
講師:レンゴー株式会社 代表取締役社長 大坪 清


5. マッカーサー元帥
6. 各地域の経済圏
7. 日米間の経済関係
8. 税制優遇措置
9. ODA

 

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5.マッカーサー元帥

 アジア経済のキーワードとして、「EAEC(East Asia Economic Caucus:東アジア経済協議体)」があります。EAECは東アジアでの経済の協力機構をつくる目的で、1990年にマレーシアのマハティール首相が提唱しました。
 この話の前に、戦後の歴史を知っていなければアジアの経済は理解できません。皆さんは学校で第二次世界大戦と習ったと思いますが、私の時代は大東亜戦争とよんでいました。日本は東アジアで大東亜共栄圏をつくろうとしましたが、アメリカ、イギリス、中国等の連合国に敗戦した結果、この構想はなくなりました。1949年には毛沢東が中華人民共和国を建国し、ソビエト連邦と同じ社会主義の共栄圏をつくりました。
 敗戦後、日本はアメリカの統治下におかれましたが、1950年には経済国として復活しつつありました。朝鮮戦争が起こり、ソビエト連邦と中国は北朝鮮側につき、アメリカは韓国側につきました。連合国軍最高司令官として日本に駐在していたマッカーサー元帥は、アメリカのトルーマン大統領の命を受け、韓国に移り戦争の指揮をとりました。マッカーサー元帥は、北朝鮮への徹底攻撃を主張していましたが、トルーマン大統領に許されませんでした。マッカーサー元帥の退任時の言葉に「Old soldiers never die, they just fade away.:老兵は死なず、ただ消え去るのみ」とありますが、有名なフレーズなので覚えておいてください。
 中国では1989年に天安門事件が起こりましたが、鄧小平は改革開放政策をとりました。1991年にソビエト連邦が崩壊、資本主義のもとロシア連邦が誕生し、大きな転換点となりました。同時にヨーロッパでも、東西ドイツを分けていたベルリンの壁が1989年に崩壊し、この時代に世界は大きく動き出しました。

 

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6.各地域の経済圏
 マハティール首相は、当時、アメリカの支配にかかわらず、アジアとして一つになるべきであると提唱しました。経済については、日本が一番進んでいるので、彼は「Look East」という言葉をつくり、マレーシアから東に位置する日本に学べとしました。マハティール首相は、EAEB(East Asia Economic Block)、EAEG(East Asia Economic Group)の構想を経て、最終的にEAEC(East Asia Economic Caucus)としました。
 日本企業の海外進出は、初めは中国に向かいましたが、やがてタイ、マレーシア、インドネシアへと、続々と工場を展開させています。EAECの動きに対抗し、ブッシュ大統領が中心となって考えたのがAPEC (Asia-Pacific Economic Cooperation:アジア太平洋経済協力)です。アメリカはEAEB、EAEG、EAECのいずれにも加入できないので、自国が加入できるAPECの体制をつくり、アメリカ+日本+韓国+ASEAN6か国体制でのスタートを提案しました。現在、APECにはアジア太平洋地域の21の国と地域が参加しています。
 アメリカ、カナダ、メキシコがEAECと同様にNAFTA(North American Free Trade Agreement:北米自由貿易協定)をつくっているのを知っていますか。NAFTAは、全品目の関税撤廃、金融や投資の市場を自由化、知的所有権の保護を目指しつくられた一つの経済圏です。
 ヨーロッパはどうでしょうか。ヨーロッパでは、EC(European Community:ヨーロッパ共同体)を経て、現在はEU(European Union:ヨーロッパ連合)が形成されています。2002年からEU内の統一通貨としてユーロがスタートしましたが、EU加盟国の中では為替がないためうまくいっていません。通貨の発行量を各国で増減させることもできなくなっています。EU内部で為替がないことが一番の問題で、中でもPIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)は財政状態が悪化していました。ドイツが中心となり、最も財政状態が悪化していたギリシャを助けたことにより、ユーロ危機は一旦収まってはいますが、まだ不安を残しています。

 

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7. 日米間の経済関係
 日本とアメリカとの関係はどうでしょうか。敗戦後、日本人が持つ勤勉さと技術力により、1970年代には、日本の経済力はアメリカに追いつくほどに強くなってきました。日米間での貿易摩擦が大きくなったことで、アメリカは日本叩きを始めました。1971年にニクソンショックが起こり、アメリカはドル紙幣と金の兌換を停止し、日本円の為替レートは1ドル360円から308円に切り上げられました。1973年には、日本を含む先進各国は、固定相場制から変動相場制に移行しました。以後、円高が続き、1985年に先進5か国でプラザ合意が行われ、1987年には1ドル120円台までになりました。
 私が仕事上、アメリカに一番困らされたことは、1985年にMOSS協議(Market Oriented Sector Selective talks:市場志向型分野別協議)が開始されたことです。市場原理に任せたほうがよい商品については、関税を全て撤廃するよう日本に申し出がありました。特に紙、パルプなどの林産物については、それ以前は関税種目のリストに入って保護されていましたが、関税撤廃によりアメリカと対等に競争しなければならなくなりました。同時に、アメリカ向けの輸出品を梱包している素材は、全てアメリカ製を使わなければならないということになりました。
 当時、私は商社で働き、商社マンとしてさまざまな交渉を行っていました。日本とアメリカでは自然環境の違いがあります。例えば、紙の製造には湿度が影響し、日本では8%から10%、アメリカでは5%の環境下で紙を製造しています。よって、アメリカで製造した紙を日本にそのまま持ってくると、紙が水分を吸収し、曲がって欠陥品となってしまいます。ここからアメリカ側は、環境の違いを考慮する必要があると理解しました。これにより、製紙業界では、MOSS協議で決定された通りに関税は撤廃されましたが、アメリカへの輸出品の梱包素材全てをアメリカ品にすることはありませんでした。

 

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8. 税制優遇措置
 パイオニア・ステータス(Pioneer Status)は、マレーシアやシンガポールで実施されている税制優遇措置の一つです。付加価値のレベル、使用される技術の高さ、産業間連携強化への寄与など一定条件を満たした企業に対し、所得税納付の一部免除を認めるものです。ITA(Investment Tax Allowance:投資税額控除)も、税制優遇措置の一つであり、パイオニア・ステータスに代わる手段として、税制面で最初に適格資本的支出(認可プロジェクトで使用される工場、プラント、機械、その他の設備に対する支出)が発生した日から5年以内に発生した適格資本的支出に対して、60%の控除が得られるよう税制面で優遇しました。


9. ODA

 日本が海外進出する目的は、製造拠点の構築、マーケットの開発以外にODA(Official Development Assistance:政府開発援助)の実施があります。日本はODAに力を入れ続け、1989年には援助額が初めて世界一になりました。当時は一兆円を超えるODAを行っていましたが、現在はその拠出額を減らしています。
 援助には、PFI(Private Finance Initiative)、PPP(Public-Private Partnership)などの方法があります。PFIは既に日本でも始まっていますが、政府が援助をする際に、民間が資金とノウハウを出し、しばらく援助するという方法です。
 ODAには有償、無償、技術援助の三つの形態があります。技術援助はJICA(国際協力機構)のメンバーを中心に行っています。有償でODAを行ったとしても、そのうち70%を有償とし、少なくとも30%の支払い猶予をつけなければなりません。
 民間企業はお金を出して援助するだけではなく、実際に政府機関や工場をつくる役割を果たしています。タイド援助とアンタイド援助という言葉を知っているでしょうか。タイド援助は、援助資金による資材や役務の調達先を援助国に限定することを意味し、アンタイド援助はその逆となります。例えば、日本がフィリピンに大きなシティホールを無償で作る場合、建設するのは日本の業者か、現地の業者かという選択肢になります。日本の民間企業は、タイド援助にしてもらうよう日本政府に働きかけ、日本政府からお金をもらい、日本政府がシティホールをフィリピンに無償で供給することになります。よって、タイド援助の条件であれば日本の企業は潤いますが、アンタイドの条件になれば日本のお金が全て現地に流出することになります。
 タイド援助にするための一つの方策として、BOT(build, operate and transfer:民間事業者が自ら資金調達を行い、施設を建設し、契約期間にわたり運営、管理を行って、資金回収した後、公共側にその施設を移管する方式)やBOO(build, own and operate:民間事業者が施設を建設し、そのまま保有し続け、事業を運営する方式)があります。
 プラント建設における一つの条件として、EPC(Engineering, Procurement and Construction: エンジニアリングの設計、資機材調達、製作、建設工事を含む一連の流れ)が重要となります。ODAを行うには、まず設計をしなければなりませんが、その後の素材、資材の調達を行うことが重要となり、日本が指導しなければなりません。その後に建設があります。
 本日の講義は、学生が習う学問だけでなく、仕事のより実務的な話を知ってほしいとの思いをもって話しました。皆さんにおいては、新聞やニュースから得た情報も自分の知識となるよう努力してもらうことを願い、この講義の結びといたします。

 

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