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先端教養科目・関西は今

逆説の経済論 2
講師:レンゴー株式会社 代表取締役社長 大坪 清


1. 「国富論」と金融工学
2. 利益とは何か
3. フルコストとは
4. 会社は誰のものか
5. 「きんとま」哲学

 

1. 「国富論」と金融工学
 学生時代、私はバレーボール一筋でした。私の出身高校の大手前高校は、私が1年生の時、1部から5部まであるリーグの中で、5部の10校あるうちの8番目、200校中180位ぐらいでした。ところが、私が卒業する時には1部の2位となりました。
 なぜ大手前高校バレー部が、当時、飛躍的に成長できたのか。今でこそ6人制のバレーボールの時間差攻撃やフローターサーブは一般的ですが、われわれが高校1年生の頃、セカンドサーブはアンダーサーブで下から打つのが普通であったなか、フローターサーブを導入したことと、もう一つの大きな要因は、時間差攻撃を他校にさきがけて進めたことでした。
 高校卒業後、私は神戸大学に進学しました。ここでもバレーボール部に所属し、3部だったチームを1部まで引っ張り上げることができました。バレーボールどっぷりの生活でしたが、ゼミの先生から「これだけは読んでおきなさい。」ということで渡されたのが、アダム・スミスの原書の「国富論:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations」です。これを何とか読破しました。
 当社の創業者井上貞治郎の経営哲学に「きんとま哲学」というものがありますが、「国富論」にはこれと相通ずるものがありました。経済学はアダム・スミスの「国富論」からシュンペーター、リカード、マーシャルと発展し、サミュエルソンによって、数学を使った経済学が完成されます。ケインズも数字を少し使いましたが、アダム・スミスは一切数字を使っていません。
 「国富論」は、分業論“division of labor”から始まります。一人でピンをつくれば1日に10本しかつくれないものが、手分けし分業することで1日4000本を作れるぐらいの生産能力が出てくるという書き出しからスタートします。
 私が「国富論」を読むなかで、社会人となってからもよく使っている言葉が「invisible hand=見えざる手」です。経済にはこの「見えざる手」が非常に重要であり、これには心と心が通じ合うことが一つの大事な要素であると思います。
 アダム・スミスは、「国富論」の前に、「道徳感情論:The Theory of Moral Sentiments」を執筆しています。ここで彼は、経済には5つの原則があるということを述べています。「morality:道徳」、「ethics:倫理」、「philosophy:哲学」、「sentiment:感情」、そして、ビジネスを行う上でお互いを分かり合うことを意味する「sympathy:共感」です。この“Sympathy”の部分が、現在の経済社会においてはやや欠けているのではないかと感じています。以上、これらの5つの要素を理解しながら経済活動を行うことが非常に重要です。

 自然科学は実験できる学問ですが、経済学は、人文科学であり実験できない学問です。実験できないことから、アダム・スミスは“state of mind”、心の状態をお互いに分かり合うことが経済の原則だと述べ、ここから世界の経済学ができあがってきました。これらについてもう一度基礎から見直していくことが必要ではないでしょうか。

 また、現在の経済学は、あまりにも数字を使い過ぎているのではないかと感じます。1985年のプラザ合意以降、金融工学:“Financial technology”は大きく発展してきました。この金融工学では、微分と積分を組み合わせ、ネピア数を使い現在価値を求めていくというものです。
 このネピア数eは、無理数であり、微分しても積分しても値が変わらないという不思議な数字です。また、“imaginary number”=虚数という数字がありますが、虚数は、二乗してマイナスになる数字です。これらの数字を使い金融工学は作りあげられています。金融工学を決して悪いとは言いませんが、経済はそれだけではないというのが、私の考え方の根底にあるものです。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉を皆さんはご存じでしょうか。これは江戸時代のことわざです。風が吹けば砂ぼこりが上がる。砂ぼこりが上がったら人の目に入る。目に入ったら目の不自由な人が増える。当時、目の不自由な人が就く職業として三味線を弾く仕事があり、目の不自由な人が増えると三味線がはやる。三味線は猫の皮からつくられているので、三味線が増えると猫が減る。猫が減ることで、ネズミが増える。ネズミが増えたら、木をかじる。当時の桶は木製であり、そこで桶屋が儲かるというのが、この「風が吹けば桶屋が儲かる」というストーリーです。
 しかし、今はこういうことは起こらない。このような発想は今の世の中では通じなくなっています。現代には先物商品取引市場があり、将来を予測し、買いに出る人、売りに出る人、またその売りに出ていると思われることを買う人、これはロング、ショートと言いますが、そのロング、ショートにさらにオプションを付けるというビジネスが、金融工学的に出来上がっているため、今は風が吹いても桶屋は儲かるようにはなっていないのです。

 

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2. 利益とは何か
 「利益とは何か」ということをお話しましょう。私は、企業人がよく使っている「限界利益」という言葉は利益ではないと言い続けております。限界利益とは、売上高から変動費を引いて出てくる数字です。この限界利益から、さらに固定費を引いて最終利益を出しますが、変動費を引いた段階のものを限界利益と呼んでいます。
 限界利益が出たら、さらに生産量を上げ、固定費をカバーしようとするのが従来の動きです。固定費は、寝ていても起きていても休日でもかかってくる費用であり、機械を購入して償却することも固定費に入ります。これら固定費をカバーするため、限界利益が発生する水準から、さらに生産量を上げてカバーしていくと、その結果、製品がどんどんできてくることになります。お金の量は増やしていないため、モノだけがあふれかえることになります。例えば、お金の量を50、モノの量を100とすると、結局このモノの価格は50のお金にしか合わせられずデフレ現象が起こるということです。今、日本で起こっているデフレ現象は、これらが実際に起こっているということです。デフレが解消しない原因は、モノをつくりすぎているか、貨幣の発行量が少なすぎるのかのどちらかなのです。
 従って、2年半前にリーマン・ショックが起きて経済が世界中で混乱していた時に、米国は6000億ドル、日本円で約60兆円もの公的資金を投入しました。このために景気は回復しましたが、一方、日本は公的資金の投入を全く行わず、5兆円の金融緩和を行ったのみです。貨幣の量に合わせた価格体系しかできないということの結果が、今のデフレです。このデフレを解消するためには、何かしらバランスを取っていかねばならないのです。

 

3. フルコストとは
 そのために限界利益という言葉を忘れてほしいと常々私は申しあげています。価格の決め方で重要なことは自らがつくりだしたモノの価値を正確に把握し、価格に転嫁することです。そのために必要なことは何か。一つは労働分配ができるような原資の確保です。会社が企業活動を続ける限り、資本を再生産していくための費用を考えなければなりません。二つ目は、国に対して租税を払うための費用も考えなければなりません。それから、社会貢献のための費用も考えなければなりません。これら三つについて、従来は限界利益からカバーしようと考えられていましたが、私はその限界利益という考えをやめて、これらも全て費用として計算をしなさいと申しあげてきました。私はこの考え方をフルコスト主義と名付け、社内外で提言してきました。その結果として、業界内の考え方、コンセンサスが固まり、今日では板紙業界、段ボール業界全体が非常に安定した状態にあると思っています。

 

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4. 会社は誰のものか

 ビジネスを行っていると、会社は誰のものかという問題が出てきます。おそらく皆さんは、株式会社は株主のものと習うかもしれませんが、そんなことはあり得ないというのが私の持論です。例えば、5年ほど前にメディアにたびたび登場していたホリエモンこと堀江貴文氏は、会社を売ったり買ったりするのが得意で一代で財を成しましたが、粉飾決算事件の被告として現在は裁判中です。村上ファンドも会社を売買し、彼らは全て「会社は株主のものだ。だから売ったり買ったりできる」と言っていたわけです。私は「会社は株主だけのものではない」と言い続けてきました。
 ブルドックソースがスティール・パートナーズという米国のファンドに株を買占められそうになり、ブルドックソース側とスティール・パートナーズ側で非常に緊張した事態に陥りかけたことがありました。私はその時、ブルドックソースの株を取得し、物言う株主として「ブルドックソースは従来の経営者が残るべきである」と頑張った一人です。
 町の八百屋さんの店主が店の棚にあるリンゴを取って食べても罪にはなりませんが、百貨店の社長はデパ地下のリンゴを取って食べると罪になります。株式会社は株式を通じて一つの法人格があり、この法人格については、経営者といえども法人そのものとは一体ではありません。私は経営者ですが、レンゴー株式会社という法人を勝手に自由につまみ食いはできません。従って株主についても、勝手に会社を売ったり買ったりすることはできないということが私の主張です。株式会社は経営者も一部経営権を持っていますが、従業員、社会、顧客、納入業者も、ステークホルダーの一員であり、権利を持っています。これらのステークホルダーが互いに理解し合い成り立つものが株式会社であって、株主の権利だけを主張し会社を売買するような風潮については、私はいかがなものかと感じています。
 
5. 「きんとま」哲学

 先ほどアダム・スミスの「国富論」に言及しましたが、レンゴーの創業者井上貞治郎の「きんとま」哲学についてお話します。「きんとま」の「きん」はお金と金鉄、金属のような固い意志を持ちなさいという意味で、「と」とはアンドです。「ま」は間と真(まこと)の「ま」、すなわちお金を握ったら放すな、そして金鉄のような固い意志を持って、タイミングを逃さず、真心で商売をせよ、という意味です。私はこれをさらに発展的に解釈して、間という字の上に人という字を付ければ「人間」になります、時を付ければ「時間」になります、空という字を付ければ「空間」になります。会社経営の一番のポイントは、人を大事にし、空間、つまりモノを大事にし、時間を大事にするということです。
 金鉄のような固い意志を持ち、お金を大事にし、人、モノ、時間を大事にしながら経営を行うことが、「きんとま」哲学の心と言えるでしょう。
 この「きんとま」と、アダム・スミス「国富論」の言葉とは相通ずるものがあります。これから専門課程で様々な勉強をされる皆さんには、経済論の原点はアダム・スミスにあることを是非理解しておいていただければと思います。